ロンパ3アニメ感想

※批判が多く含まれます。キャラクターに対する批判も致しますので苦手な方は見ないことをお勧めします。閲覧後の苦情はお返事いたしかねます。

※こちらに記載する感想はあくまで私個人のものであり、楽しんでいた方を糾弾することを目的としたものではありません。あくまで個人の感想としてお読みいただければ幸いです。

※正直あまり頭が良い方ではないので、矛盾したことを書いてしまっているかもしれません。大変申し訳ありません。

まずは、アニメダンガンロンパ3お疲れ様でした。

週2回放送という多忙なスケジュールの中製作してくださった制作会社様、誠にありがとうございました。完結おめでとうございます。

視聴者の方も、怒涛の3か月を終えようやく一息つかれたことと存じます。改めて、お疲れ様でした。

私個人といたしましても、原作のゲームから幾度もやり込み堪能してきた作品ですので、毎週キャラクターが動く様子・喋る様子を見るのはとても楽しかったです。ゲームでは味わえない1週間の考察猶予と、SNSを介して周りと意見を交換する日々を送るのは大変刺激的でした。終わってほっとしているような、寂しいような不思議な感覚です。

ですが、結論から言わせて頂きますと、今回の作品は私の中で非常に受け入れがたいものとなっております。

今回の作品の前提といたしまして、未来編は「君(苗木)と僕(モノクマ)との完結編」・絶望編は「どうして彼ら(77期生)は絶望してしまったんだろうね?」という言葉がポイントになっていたように思います。未来編は今まで苦しめられてきたモノクマ(絶望)とダンガンロンパ(以下:無印)の主人公でありスーパーダンガンロンパ(以下:スーダン)でも活躍をする苗木誠(希望)の決戦であり、絶望編はあくまで77期生に焦点を絞ったものであると。少なくとも、私はそう思いながらアニメを見始めましたし、周りを見る限りその部分に多く期待を寄せるファンが多かったようにも思います。

また、小高氏も「今回の『ダンガンロンパ3』は新規ファンよりは、むしろこれまでずっと応援してくれた人をターゲットにしているそうですね。」という質問に対し肯定していたことから、新規ファンを呼び込むというよりも、究極のファンアイテムと称していたように既存ファンをターゲットにしていたように思えます。

(参照:【インタビュー】「ダンガンロンパ3」はなぜアニメなのか…小高和剛が語る挑戦と裏話 | インサイド http://www.inside-games.jp/article/2016/07/07/100178.html

その前提のもと感想を書き記していきます。

未来編について

前半は純粋に楽しめました。わくわくもしましたし、OPやEDの映像や歌詞から考察されている方も多くそういった意見を眺めながら自分なりに考えを広げるのは楽しかったです。

2話で朝日奈が死亡し、次回へ続いたときには興奮が収まりませんでした。朝日奈のことは無印時代から、明るく仲間思いなキャラクター性、また天真爛漫な可愛らしさも含めて大好きなキャラクターではあったのですが、そんな魅力的な人物をあっけなく死亡させるのがダンガンロンパだと思っておりましたので…死んだときの絶望感と前作キャラなど構わず死亡させるストーリーに、ただのキャラゲーじゃないダンガンロンパに対する姿勢が感じとれ嬉しかったてす。結局生きていましたが。

あのシーンでもしかしたら黒幕である雪染と入れ替わったのではないかという考察も多かったですね。モナカの回想シーンで朝日奈の前髪がちがっている、ドーナツに飛び付かない、腐川に対する呼び方が違う、無印の殺し合いをゲームと称す、月光ヶ原に希望の戦士と声をかけるなどから、私もそう考えていました。結局は違いましたが…こういった推理を各々繰り広げられたのは楽しかったです。

ですが、やはり後半にいくにつれて失速したように思えます。

襲撃とは、洗脳ビデオによる自殺だったとのことですが、襲撃者に襲われたときの特徴「胸をナイフで一突き」ですが、それに加え磔のようになって死んでいた忌村は、己の手を壁に磔にされた状態で一体どうやって自身の胸にナイフを刺したのでしょうか?あのように固められている状態からではとてもじゃないと手が届きませんし、胸を刺してから磔はあまりに人間離れしているとしか思えません。

また、黒幕の天願ですが、御手洗にビデオを流させる目的なら実際に殺し合いを行ずとも、嘘をつきビデオ使用を誘導すればいいだけですし、そもそも何故海底の施設に未来機関一同を移動させたのでしょうか?なにか意味があったのでしょうか?天願が移動させたにしても、協力者くらいいないととてもじゃないと成立しないと思うのですが…また、御手洗がもし襲撃者になってしまったらどうするつもりだったのでしょうか?彼が死んだらそもそも今回の計画のすべてが泡となるとは考えなかったのでしょうか…?

未来編に関しては、13支部長の正体は?NG行動はどう判定したか?死亡した月光ヶ原や警備員は誰にやられたのか?葉隠を襲ったヘリの正体は?なぜ血がピンクではなく赤いのか?モナカはなぜウサミのキャラクターを把握していたのか?ロボである月光ヶ原を腕輪をセットした際黒幕が気づかなかったはずがないと思われるがなぜ見逃したのか?月光ヶ原は結局何期生?召使い=狛枝だと知っていたのはなぜ?等…まだ謎の多い部分が数多く残っており、伏線だと思われていた部分も放置したまま終わってしまったことは残念でなりません。また、配電室をいじればいいのなら、宗方が腕輪が外れたときに真っ先に配電室に向かえたのであれば、なぜ苗木を追いかけることに執着し配電室に行かなかったのか疑問です。単に気づかなかっただけなのでしょうか…
牛頭が苗木のNG行動を知らないにも関わらず苗木を担いで行動したのも府に落ちません。

ストーリーについて、探せばまだまだ放置されている伏線や矛盾があると思いますが、いくら考えたところでアニメが終わってしまった以上ただの意味のない演出、ミスリードで片付けてしまわないとならないのが残念です。

また、テーマであった「君と僕との完結編」の部分も肝心のモノクマはほぼ出演しておらず、黒幕であった天願もすでに宗方の手により死亡。真のラスボスである御手洗との対決でさえ、77期生と御手洗の話し合いになり(細かい部分は希望編の話の際に記します)苗木の出番すらなかったことが残念でした。モノクマは必要だったのかとすら思ってしまいます…苗木もほぼほぼ置物状態だったのが釈然としません。完結編なのに…

次に、キャラクターの描写についてです。

キャラクター描写について

苗木誠について

苗木は、今までの作品で一貫して「前向きである」ということが描かれてきたと思います。また、誰かを頼りにするというよりも自分できちんと行動して結果を残す主人公であったとも思います。ゲームのシステム上のことではあると思いますが、それでも探偵である霧切にすべてを頼りきりにすることもせず捜査も行い、真実にたどり着く…まさに超高校級の希望と呼ばれるに足る人物でした。彼の言葉がまわりを動かすのは、そして希望と称されるのには、いつも前向きで周囲のことも考え行動を起こし決して口先だけではない人物だったからだと思っていました。

ですが、今作未来編では「もう誰のことも殺させない」と言いながら、密室で死亡した人間から黒幕の手がかりを得ようともせず、特に何も行動をすることもなく終えたように思えました。また、多くの波紋を呼んだ未来編9話で、NG行動で眠らされたのちにその場にいた人間のみを見渡し「よかった誰も殺されていない」と言った発言をし、その後も襲撃者に襲われた人間を探そうともしないということが非常に引っかかりました。(実際はここで安藤が死亡しています)

この描写では、まるで苗木は自分の周り、自分の目の届く範囲での人間のみ、賛同者のみを仲間だと認識しているように見えてしまったのです。ここが非常にショックでした…クロですら仲間だと断言していた苗木がしばらく苦楽を共にしていたはずの未来機関に対し非常にドライなところが受け入れがたかったです。

また、前半は宗方が殺し合いをゲームと称したことに否定的だったのに対し、後半では「このゲーム」と殺し合いのことをゲームと呼ぶ発言があったのが残念です。人が死んでいるということをなんとも思っていないようで…無印の殺し合いを経たからこそ、彼には未来機関の殺し合いをゲームと言ってほしくありませんでした。

逆蔵のもとへ宗方がいくよう背中を押したのは非常によかったと思います。あと、霧切との信頼関係も無印を経てのものなので、ゲームからのファンであった自分にはとてもうれしいものでした。ですが、いくら洗脳とはいえ霧切の死に際に残してくれた「私はいつでもあなたのそばにいるわ」の言葉をあっさり忘れ、自殺しようとしたのは…非常に悲しかったです。洗脳の強さを印象付けるためかもしれませんが、その後暴力を受けるとあっさり洗脳状態が解けたので、心の底から霧切のことを信頼していたわけではないのかとさえ思えてしまいました…。

霧切響子について

無印では探偵として有能に働き、圧倒的推理力を驚異に思った江ノ島に直々に手にかけられそうになっていた彼女。

ですが、正直今作では以前よりも彼女の魅力が失われているように感じました。

・配電室をみすみす見逃しその場を離れる(これは逆蔵、安藤といった過激な人間に腕力でかなわないと判断したためでしょうが、その後タイムリミットが近づいているのにもかかわらず一度も捜査に戻らなかったことが引っかかりました。)

・解毒剤を一人で飲み干す(無印からの仲間であり、廊下を走れない苗木・暴力を受けると即死の朝日奈といったコロシアイに不向きなNG行動の人間にこの薬のことを言わないことが引っかかりました。また、忌村から拝借してきた薬ですが、忌村自身は自分でこの薬を飲まなかったのでしょうか?薬を飲んでいたら、あそこまで必死になって影を踏まれないよう逃げ回る必要性がないように感じたのですが…)

・襲撃者の正体を見破っていたにもかかわらず、口頭で苗木や朝日奈に説明をせずそのまま眠りについたのはなぜでしょう?お茶をするよりも先に言うべきだと思うのですが…また、御手洗のことを警戒していたとしても、メモとして残すのなら、苗木か朝日奈にそれとなくメモを渡したほうがよかったと思うのですが…渡さずに自分の身体の下敷きにしてしまうのは、御手洗を警戒していたにしては不可解な行動ですし、万が一にでも見つけてもらえない可能性は考えなかったのでしょうか。

いつでも冷静で、探偵として活躍してきた彼女、そして無印で苗木のためにゴミ捨て場にまで落ちていった仲間思いの彼女には正直このような行動をとらないと思っていました。

手袋をはずして、苗木を勇気づけるシーンは彼女の苗木に対する信頼が見て取れて非常によかったと思います。また、襲撃者を探す気が一切なさそうな苗木・朝日奈に代わって積極的に自分の使命を全うするのも、冷静沈着な探偵である霧切らしいなと。苦楽を共にした仲間と一緒ではなくても自分のすることを行う自立した姿はかっこよかったです。

朝日奈葵について

いつでも元気で前向き。心を許した仲間を誰より大切にして、突っ走っていくことが魅力に感じていました。ですが彼女もまた、今作では残念に感じる描写が多々見受けられました。

・腐川のことを「腐川さん」と呼ぶ(無印時代では腐川ちゃん呼びでした)、無印コロシアイをゲームと呼ぶ等不可思議な行動が目立っていました。ミスリードのためかとも思いますが、キャラクター性が明らかに変わっているように思えました。

・苗木が宗方の元へと向かう際、無印の彼女の行動から考えると走れない苗木の身を案じ、一緒に行くと提案をすると思ったのですが…そのまま見送ってしまったのが仲間のため、信頼する人間のためなら突っ走る彼女らしくないなと。

また、2話で朝日奈が死亡したかと思いきや3話で実は生きていたという設定のせいで霧切もたぶん死なないだろうという妙な安心感が出てしまい、大好きなキャラクターの死なのに悲しむことができなかったのが…個人的にとても悲しいです。死んだ?→実は生きていましたの驚きは一度のみ有効だと思いますし、朝日奈の死体偽装は本当に意味のないものだったのであの描写はいらなかったのではないかと…

今回の物語の中での彼女は、苗木の良き協力者であり頼りになる仲間であり、いつでも元気で明るい様子は非常に元気付けられました。朝日奈の明るさがあったからこそ、私はあの暗い話にも耐え視聴することができたのではないかと思います。 彼女のそういった天真爛漫でかわいらしい面はよく描写できていたのではないかと思います。

十神白夜・葉隠康比呂について

十神・葉隠に関しては個人的には満足しています。慣れ合うことを良しとしなかった十神が78期生の仲間のために行動する姿・葉隠に対してやわらかく微笑む姿は仲間として相手を認めていると感動しましたし、ラストではそんな十神よりも先に飛び出して行って苗木を身を挺して庇う葉隠は無印では取れなかったであろう成長を感じ嬉しかったです。

ここで言いたいのは、単に今までの描写と違うから苗木・霧切・朝日奈に違和感を覚えているのではなく、明らかに今までを経た成長ではなく本人の軸がぶれているという矛盾を感じた上での違和感を述べているということです。十神、葉隠は成長をし、苗木、霧切、朝日奈はキャラクター性そのものが失われていたように感じました。

未来機関について

新キャラについては、76期生・74期生が限られた枠の中で描写できておりよかったと思います。特に76期生の人間関係の複雑な絡み合い、過去にあった問題からのいざこざ、特に安藤流流歌の過去と現在の絡み合い、本人の心の弱さと人を信じきれない態度、無残に散っていった一連の流れが見事に描かれており大変満足できました。

キャラクターに対してはよかった部分・悪かった部分ともに多かったのですが、既存キャラの魅力が失われてしまったように感じたことが自分の中で大きく引っかかり正直ガッカリしてしまったことが多いという結果になってしまいました。新キャラクターは魅力的なキャラも多いですし、74期生の出会いなども見てみたいと思えるほどだったのですが…残念です。

次に、絶望編についての感想を述べたいと思います。

絶望編について

前提として、私はスーパーダンガンロンパ2が大好きです。シリーズの中で一番魅力を感じていたため、その分主観での感想も多くなってしまうかと思います(いまさらですが…)。そのことを踏まえたうえでご覧いただけると幸いです。

こちらは、まずはキャラクターの描写についてから述べたいと思います。

キャラクター描写について

前述した通り今回の作品は「従来の作品ファンに向けてのもの」だと明言されてきました。しかし、それにしては一人のキャラクターに対する描写ばかりが目立ち、77期生は個人個人ではなくあくまで「77期生」としての塊でしか存在していなかったのが引っかかりました。

スーダンの時代から78期生よりも集団意識が強く協調性のあるキャラクターたちでしたが、協調性があるどころか個人としての個性・性格なども明らかになくなってしまっていたように感じたのです。

花村輝々に関して

花村は、下ネタ要因・ギャグ要因のみかと思いきやスーダンでは人を殺してまで母の元へ帰りたいと思うほど母親思いなキャラクターでした。また、1章裁判で西園寺が「料理に下剤でも入ってたんじゃないの?」と茶化したところ「料理にそんなことしないよ!味がめちゃくちゃになっちゃうもん!」と返答したり、料理人としての自分にきちんとしたプライドを持っていたように思えます。

ですが、今回のアニメでは「ドーピングコーンスープ」を作ったり、正直…料理人のプライドが失われてしまっていたように感じられショックでした。

また、和食を作っていましたが彼自身アーバンではない和食を披露するのは相当気を許した相手のみだと思っていたのですが、あの時点でクラスの面々とそこまで仲が良かったのでしょうか…

詐欺師について

6章裁判での永遠に続く楽園のゲーム内での彼のセリフ「ボクは自己紹介から始めたほうが良いかな?」と明らかに性格が食い違っているのが気になりました。スーダンの十神を演じていた際の性格のままでしたし、生まれてから自分がなく人になりきって生きてきたとは発言していましたが、無意味な混乱・違和感を防ぐためにもここは統合したほうがよかったのではないかと…

小泉真昼について

スーダン内ではまさに委員長タイプの世話焼きな女の子であった彼女。しっかり者で、2章で九頭龍にトワイライトのことを問い詰められた際明らかに自分が不利な状況にあるにかかわらず「アンタだって悪い」と自分の主張をまっすぐに相手にぶつけた彼女。強気で、けれどスーダン2章冒頭で、1章裁判で正体を現したはずの狛枝に対して食事を運ぶほどの優しさと気遣いを持っていた子だったと思ったのですが、今回は彼女の芯の強さや優しい心が描写されなくなってしまっていたのが残念でなりません。びくびくおどおどしているだけで、まるで大人しいだけのキャラとして描写されてしまっていたのがショックでした。

スーダン内の彼女なら、騒がしい教室で苦笑するよりも「ちょっとアンタたちいい加減にしなよ!教室めちゃくちゃじゃん」等の注意をきちんとし周りを纏めようと動くと思います。彼女の積極性が描写されていなく、クラスにいるただの大人しい女子生徒としてしか機能しなかったのが残念でした。

ソニア・ネヴァーマインドについて

小泉が学級委員長なら、ソニアは周りのリーダーになる素質を持つキャラクターであったと思います。1章裁判後に周りをまとめ、2章ではまわりを海水浴に誘うなど積極的に動いていた彼女。品がよくかわいらしいだけの女の子ではなく、超高校級の王女と称されるほどに統率力のある面が目立っていました。また、海水浴に行く際1章で明らかに行動の妙だった狛枝の事も誘うなどの優しさ、懐の深さも見せています。

今作での彼女は、そういった王女様らしいカリスマな部分がなくなり、優しい部分も描写されていませんでした。左右田に対してスーダン後半からキツイ態度をとるのも、左右田が彼女のことを「王女様」として見ていることが伝わり、それがソニアにとってやってほしくないことであったことからの態度だったと思われるので、根本的には優しく他人を思いやるキャラクターであったはずなのですが…残念です。

罪木蜜柑について

普段はおどおどしている、ドジで大人しい彼女。ですが、3章のクロであり、その際のセリフは以下になります。

「あの人だけ…あの人だけなんですよ…そう、あの人だけは…私を嫌わないでくれました。私の存在を許してくれました。私を許して受け入れてくれました。私に価値を与えてくれました。私を愛してくれました。全身で愛する私に、全身で愛を返してくれました。これは…”罪木の恩返し”なんです。」

「私がこんな人間になったのは私のせいじゃなくって、みんなのせいなんですよ? だって…私は私だけで、今の私になった訳じゃなくて…色んな人間関係のせいで、今の私になったんですぅ。」

「希望とか絶望とか知ったこっちゃないんです!愛なんですよ、愛!」

上記から察するに彼女は「周りの人間になじめないところを江ノ島に救われ、崇拝していた」(これが絶望状態)ということだと思っていたのですが…

もともと、トワイライトでも共に行動するメンバーがいたことから周囲とはなじめないといいつつある程度は相手にしてもらえていたとは思っていたのですが、本人の心の弱さゆえそれを信じ切れていない状態かと思っていました。ですが、アニメ内で彼女は以下のセリフを口にしています。

「雪染先生も良い人ですし、クラス委員の七海さんもみんなのためにとってもとっても頑張ってくれて」(8話冒頭、絶望洗脳済み状態)

絶望になっている状況で江ノ島に話しかけているだけなのでここで嘘をつく意味がないと思うのですが、そうするとこのセリフとゲームのセリフを照らし合わせた際明らかな矛盾が生じます。さらに、8話よりも前に詐欺師に「信じている」と言われた際「そんなこと言ってもらえたのはじめてなので」と泣いてまでいたのにも矛盾を感じます…泣くほどうれしい言葉をかけてくれた詐欺師よりも七海が頑張っていると表現するのには疑問が残ります。数話の間に何かがあったのかもしれませんが、そもそも信頼を得る描写は必要であり、ファンが勝手に想像で補完して納得するものではないように感じます。言葉だけでなく、簡易的にでも何をしたか視覚的な情報があればよかったのですが…。そしてその後、9話で七海を突き飛ばす直前に「七海さんって不思議な方ですよね…いつもダルそうにしていたのに、いつの間にかクラスの中心になっていて」との発言をしていたので、特に何かをしてもらったという具体例が上がっていないのも引っかかります。「いつの間にか」と言うほど何かをしてもらった記憶がないのに「クラス委員の七海さんもみんなのためにとってもとっても頑張ってくれて」という評価が下っていたのはいささか疑問に感じます。
また、江ノ島の理由のない暴力に喜ぶのも悲しかったです。彼女が「殴られればいいんですか?」とのセリフを言うのは殴られることがうれしいわけではなく、殴られれば嫌われないというある種の防衛手段です。むしろ、悪口や暴力は嫌がっている描写もゲーム内であり、そこが崩されてしまったのが受け付けなかったです…。江ノ島に殴られて喜ぶよりも、ごめんなさいと謝るほうが彼女らしいと思うのですが…。

終里赤音について

彼女は肉体的にも精神的にも強い人です。そして、自身も強くありたいと願う人です。作中で彼女はこういった発言をしています。

「やっぱ、ゴチャゴチャ考えるのなんて、オレの性に合わねーや… つえーヤツがいたら戦うってのが…オレらしいよな?…それが胸を張るって意味なんだよな?だったら…オレはこっちだろ!」

ラストのセリフでしたが、彼女はゲーム内でも強い相手にも怯むことなく自らの体一つで向かっていっています(弐大、モノクマ)。むしろ、強い相手と戦うことを楽しいと感じていますし、ゲームの中では自分を看病してくれた罪木を庇う・弐大の敵を討つためにモノクマに挑戦する等の仲間思いな一面も見せています。それなのに、9話での彼女は狛枝の「いくらみんなでも死ぬよ」という忠告に怯み七海に叱咤されるまで自らの意見すら言わなかったのが残念でした。彼女は周りに合わせて動く、影響されるというよりも自分のしたいことを、まっすぐにする子だと思っていましたので…細かい矛盾を指摘しますと、2章で小泉の死体発見現場が密室だが、高い位置にある窓から出入りできなかったかという推理の際彼女は自分でもあの位置には手が届かないと言い切っていましたが、アニメ1話では窓の位置どころかもっと高い位置までもすいすい登っていましたね。これくらいの矛盾なら許容範囲だとは思いますが、全体的な粗雑さのせいで細かい部分までも気になります…。

笑顔で食べ物を頬張るシーンや生き生きと飛び跳ねるシーンは彼女らしくてかわいらしいとは思いました。

弐大猫丸について

あんまりゲーム好きじゃなかったよなぁ…ゲーム大会楽しめたんでしょうか…(ゲーム機を渡すとあまりよくない反応をされてしまった記憶があるのですが、記憶違いでしょうか…)

彼もまた身を挺して終里を庇うシーンを見せるなど仲間想いな面、強くたくましい男らしさがスーダン内で見て取れたのですが、終里同様狛枝の「死ぬ」という単語にビビリ、七海に言われないと行動すら起こせなかったところが引っかかりました。終里と弐大、この二人にはあのシーンで「オレは行くぞ」「ワシは行くぞ」と主張してほしかったです…

雨の中罪木を捜索に行く際傘を二つ使っていたのは体の大きいキャラクターならではの行動で微笑ましかったです。

狛枝凪斗について

スーダン内でのキーキャラ、そしてトリックスター。幸運の才能ではあるがその幸運は不運の上に成り立つものであり、ただの万能なラッキーキャラというわけではないと思っていたのですが…アニメ内ではただの幸運なお助けキャラという描写しかされていなかったのが謎で仕方がありません。彼の幸運の例を上げますと「小学生のころ(アニメではなぜか中学生のころに改変されていましたが)に飛行機に乗っているときにハイジャック事件が起こり、目の前で偶然落ちてきた隕石に当たって両親が死亡した」→「だが、おかげで自由と莫大な遺産を手にすることができた」等想像を絶するような不運の後に幸運が訪れるというものでした。それが、アニメでは幸運と調整のとれる不運の描写が一切なく、ただのお助けキャラになっていたのが疑問です。狛枝の性格、希望への執着は自分と一緒にいても不幸にならない人間を求めるあまりのものであり、さらにその渇望には彼の今までの人生がいかに不幸であったかという理由付けがあります。その原因とも言える不運を描写しないと、狛枝があそこまでの狂人になってしまった理由まで失われ、ただの倫理観の欠如した人間になってしまうと思います…なので、狛枝の不運は描写をしないと彼の性格の設定自体が覆るということを意味していると思います。

また、アニメ内での彼の行動、77期生が万全の状態で試験を受けることができるように会場をめちゃくちゃにした結果停学処分、その間飛行機に乗り海外まで出かけここで銃を手にしてクラスへ戻る…ですが、正直納得のいく展開ではありません…

まず、アイランドモードで狛枝は飛行機に対して明らかに恐怖心を持っている描写がされています。目の前で両親が死んだ原因ですから無理はありません。ですが、今作ではそれを意味もなく乗り回させているのは…正直腑に落ちません。また、アイランドモードはおまけモードではありますが「すべてがうそっぱちの単なるおまけ」ではなく「このコロシアイが起きなく特定のキャラとの交友を深めたらどうなるか」というIFであると思っていたため、アイランドで発覚した過去の情報に対する矛盾は許容できませんでした…おまけモードとはいえ公式で出した情報ならそれに準拠する作品作りをしてほしかったです(飛行機に乗らなければいけないような理由があるならともかく、特に乗る必要もなかったので…)

また、停学直前には雪染から狛枝が停学になると聞いた際「あのバカがなんかしたのかよ!」と狛枝の事をクラスの一員と思っているような発言をしたり「あなたたちのためを想ってしたのよ」というフォローが雪染から入り「私たちのため…?」とそれを受け入れるような発言をしていたにもかかわらず、実際に狛枝が帰ってきたときにはなんだ狛枝か…といった態度をクラスの全員がとっていたのが気になりました。狛枝がスーダン内で周りから糾弾されていたのはあくまで1章の狂気性に触れてからのことであり、77期生に何もしていない、むしろEDにあったように交流を深めていたはずのただのクラスメイトがなぜあんなにも冷たいのか…前述したとおり小泉やソニアは狛枝にも、1章の後でさえ友好的に接しようとしていたように思えたのですが、アニメでは狛枝の事を小泉・ソニア含むクラス全員が嫌っているように見えたのが残念です…


辺古山ペコについて

彼女は2章のクロでしたが、その行動も自分のためではなく九頭龍のために行動をしていました。自らを九頭龍の道具と言い、その言葉の通り彼にのみ忠誠心を誓い行動をしてきた彼女ですが…9話でなぜ九頭龍になんの相談もせずに、帰ってきても喜びもしなかった狛枝の言うことをきき戦刃と対峙したのでしょうか?しかも、この二人の対決シーンは予備学科の暴動の中、失踪した罪木を探しに先生にも禁止されている外へ出るという時のものだったので…自分の命よりも大切にしていた九頭龍を放置し、狛枝の言うことを聞き戦刃と戦うのは彼女の忠誠心がぶれた様に取れてしまい残念でした。

もちろん、辺古山と戦刃の対決シーンはかっこよかったのですが、彼女の根本には九頭龍のためということが根強くあったように感じていたのでこのシーンへの運び方があまり受け付けませんでした…素直にこの対決を喜べなかったのが残念です。二人のバトルはかっこよかったです。

日向創について

才能コンプレックスの設定が死んでましたね。彼は凡人キャラですが才能に執着し、そのせいで小高高校では浮いてしまっている描写がゲーム内にありました。ですが、今作ではそこまで自分の才能の無さに憂いている様子・必死な様子が伝わってこなかったのが非常に残念です。文面では「超高校級の才能を持った本科生になることが夢であったがそれが適わず予備学科にいる事に劣等感を抱いている。 才能への憧れが強すぎるため、向上心のない予備学科の雰囲気にも馴染めずに一人でいることが多い」こう記載してあったものの、特段日向にそういった焦りを描写してあるシーンもなく、努力やがむしゃらになっている描写もなければただぼんやり本科の方を眺めているだけ…紹介に記載していればその設定はもう公式として固まるというわけでなく、設定をより強調するために本編内で描写すべきだと思うのですが…。日向のそういう、心の弱さの面・才能に焦がれる予備学科としての悲しみが見えてこなかったのが残念です。また、ここの描写を怠った結果、「数回一緒にゲームをしただけの七海に胸を張りたいという理由だけでカムクラプロジェクトを受けた」という印象しか受けなかったので、日向がカムクラになったという悲劇感がなくただ浅いという印象しか持てませんでした。

七海(本科であり才能のある相手)に胸を張れる自分になりたい、考えを突き詰めればこれはつまるところ他者承認ではなく自己承認ではあると思うのですが、彼自身が才能に焦がれる描写が極端に少なく、またクラスでも馴染めないという印象自体はなく、サトウや菜摘といった面々とは普通に会話もしており、スーダン内と同様「正義感が他人より強い普通の男の子」であったのがひっかかります。描写の少なさから才能がほしい、自分のため、というよりも七海のために頭をいじる決断をしたようにしか見えないのです。手術の直前も、思い出すのは今まで自分が才能を手に入れるための行動の振り返りではなく七海の笑顔だったのも「七海のための行動」ということを印象づけられてしまいました…。日向の異常性、才能への焦がれが薄れてしまったのが残念です。

また、そこまで才能を欲していたように見えなかったことからスーダン内での彼の印象も大きく変わってしまい、「そこまで必死になるほど才能コンプレックスだったのか」ではなく「数回会っただけの女生徒のために脳みそをいじくる判断をした凡人」としか思えなくなってしまいました。彼の焦り、そして予備学科の中でも特段才能に惹かれているという下地をきちんと描写してほしかったです。

あと、アンテナの向きはなんで逆だったんですか?フィクション世界だという事の伏線かと思っていたのですが、ただのミスですか?


田中・澪田・左右田・西園寺・九頭龍の5名は特に目立つこともなかったと思います。セリフが全くなかったとは思いませんが別段スポットを浴びせてもらうこともなく終わったような…もちろん、彼ら以外の77期生も七海・日向・狛枝・罪木以外は特に出番もありませんでしたが。彼らに関しては矛盾どうこうというよりも、既存ファンに向けた究極のファンアイテムと豪語しているのに目立たないキャラがいるのはどうかと…。その上、個性の無いキャラクターではなく田中は中二病、澪田は元気なムードメーカー、左右田はツッコミ役、西園寺は毒舌ロリ(中盤からはビッグバンでしたね。非常に可愛らしかったです)、九頭龍は人情に厚い極道と使いどころがないキャラクターではないので、クラスで空気になっている・目立たないのはいささか疑問でもあります。スーダンの裁判では目立っていたので…

77期生は圧倒的描写不足であったと、個人的には思います。個性がまったく消失してしまい、集団どころか七海の意見にずっと賛成をするだけの操り人形に見えてしまいました。78期生に比べ仲がいい・協調性を持った集団なのはわかりますが、あまりにも全員の行動が同じすぎて…クラスが騒がしければスーダン時のように小泉は注意をするし、バラバラになりかけたら2章海水浴のようにソニアはパーティーか何かを企画すると思っていたのですが。そういった個々の魅力を表に出してもらえなかったことが残念です。七海を委員長にしなければならないとしても、もう少し他のキャラクターにも焦点を合わせ花を持たせつつ、各々の個性を出したほうがいいのではと思いました。1話の時点では77期生の個性も出ていたと思うのですが…


もちろん、すべてが悪かった点とは思いません。ゲームではそこまで深いかかわりのなかった詐欺師と罪木蜜柑の関係性、サトウさんと九頭龍菜摘の性格、戦刃むくろと江ノ島盾子の関係性、後半に描かれたクラスメイトとしての78期生の姿、特に苗木に対してタメ口を使えるほど心を許していた舞園の描写は、無印の悲劇性もより深まり嬉しい反面さみしくもなり…それでもとても満足できました。良い点ももちろんあったんです。ですが、あまりに納得のいく部分が少なく、またキャラクターの魅力を損なう表現が多かったため正直残念な気持ちの方が強いです…


スーダン内ではメインヒロインのポジションにあった七海千秋。AIということが最大の特徴であり、魅力の一つでもあった彼女ですが、今回のアニメ化により実在した人物であったことが明らかになりました。正直、ゲームでの彼女が薄くなってしまうので実体を持ってしまうことは抵抗があったのですが…。
今回のアニメで彼女に思ったことは最後に記します。
また、キーキャラとなった江ノ島盾子についても七海同様最後に記していきます。

次に、ゲームとアニメの細かい相違について記載していきます。


物語について

トワイライトについて

PNで公式側からあれは江ノ島のねつ造だった、アニメが正史というアナウンスがありましたが、それならそうとおまけとしての情報ではなくゲーム内・アニメ内できちんと書くべきではないでしょうか。おまけで出す情報というのは、あくまで"おまけ"でしかなく、書いてあればそれを知った時に楽しめるものであるべきだと私は思います。たとえば、本編で出なかったキャラクターの細かいプロフィールだとか、授業のプログラムだとか、試験のためにはこういう才能を発揮させる予定だったとか…とにかく、知らなくてもいいけれど知っているとさらに楽しめる情報が"おまけ"に値すると思うんです。本編と絡む大切な情報をおまけで出されると後付けにしか思えません。
トワイライトの設定と本編の食い違いは、事件の起こった日付、サトウと菜摘が本科の制服を着ている(本編では予備学科でした)、サトウの性格の改変、事件の起こった場所が旧校舎→予備学科校舎、トワイライトの写真では制服を着ているけれど本編ではずっと着物の西園寺…など多々ありますが、このあたりはフィクション・江ノ島のねつ造であったらしいのでそれでひとまず納得します。
ですが、2章で小泉は下記のセリフを口にしています。
「あの"E子"って子を殺したのって、アンタなの?」
このセリフを聞くと、まるで小泉はサトウのことを知らないような雰囲気があります。サトウとは高校に入ってからの知り合いではなく中学時代からの友人関係であったということがアニメで描写されておりましたので、記憶を失っているわけはありません。予備学科まで通いお弁当を一緒に食べるほど深い仲の友人の死体に対してのリアクションは到底思えないのですが…このあたりはどう説明がされるのでしょうか?

また、トワイライト自体がほぼダイジェストであり、結局誰が誰を殺したのかが明確に分からず疑問をまき散らしておしまいになっていたのも不満です。知りたいところがぼやかされてしまって…そのくせ矛盾は大量に出てきて…残念です。事件の真相には一切触れておらず、日向のカムクラプロジェクトにほんの少し影響していたくらいなので、中途半端にするくらいならあの部分を削ってもっと別の描写を入れたほうが良かったのではないでしょうか。

生徒会のコロシアイ

生徒会のメンバーの個性、殺し合いの絶望感は個人的には好きです(絶望というよりも猟奇シーンでしたが)。戦刃の歌の披露も、スクモ偽江ノ島がカラオケが得意と言っていた事が裏付けになっていますし、ゲーム内で素の状態の戦刃を見ることもなかったので、彼女が動いているのを見るのは楽しかったです。また、生徒会メンツが出てきたシーンのスーダン冒頭と同じ構図、無印で見たあの惨劇のあった教室がこのシーンかというのは面白かったです。カップルが廊下まで出ていましたが、あのまま逃げずに自害しようとしたのは正直謎でしたが…。カップルが廊下で殺されていましたけど、無印ではその痕跡すらなかったのは、血液等は絶望シスターズが掃除したということなんですかね?ほぼ戦刃にやらせていそうでそのシーンが目に浮かびます。

ただ、カムクラがあれで絶望は予測不可能でおもしろい!興味がわく!となってしまうと少し浅いような…彼の能力はしょせんその程度だったのかとしか思えなく残念でした。頬の傷がスーダンでの日向の傷の位置と一致していたのはよかったと思います。
また、今回のアニメは覚えているだけでも村雨の名前、宗方の名前、狛枝の飛行機事故の年齢、石丸の身長等誤字が異様に多かった印象があります。週2で作品を作り上げなければいけないので現場の方は時間的にも本当に苦労されたのかとは思いますが、もう少し丁寧に作っていただきたかったです。伏線かとも思いましたが、最後まで見て結果として何も関係なかったので…

雪染乱入、救出までの流れ

絶望前と絶望後の雪染の笑顔の対比は好きです。ですが、ストーリーがあまりにもむちゃくちゃで…
まず、前述したとおり狛枝の才能というのは非常に扱いが難しいものだと思います。不運を描写しないと均衡が崩れてしまい、狛枝が薄いキャラになってしまうので、その狛枝がやたらと幸運を連発させたのは引っかかりました。特に不運らしい不運も描写されていないので、彼がご都合ラッキーマンとしか扱われていないとすら感じました。また、傘をさしていたはずの狛枝が教室に戻った際肩が濡れていたのは何かの伏線かと思ったのですが、そんなこともなく…あれはなんだったんでしょう。傘をさしていたことを忘れて濡らして描いてしまったんでしょうか…。
また、狛枝のキャラクター描写の際触れましたが、クラスメイト全員が一年ぶりに教室に戻ってきた狛枝に対しあからさまにガッカリした反応を示したのが疑問です。停学中に何かあったんでしょうか…あったとして、なぜそれを描写しないのでしょうか…狂気性の見えていないアニメの狛枝はいわばスーダン1章事件前の無害な好青年そのものであり、あそこまで嫌悪されるのは少々理解に苦しみます。また、雪染もフォローしていたにもかかわらずあのような反応をしてしまうのは、「七海委員長のおかげで77期生は最高に仲のいいクラス」というものすら説得力をなくし、意図的に一人の人間をいじめるいじめっこ集団にしか見えませんでした。特に、ソニアや小泉といった1章後も狛枝に友好的に接していた人間まで同調していじめるような描写になってしまっていたのは残念でなりません。

辺古山の忠誠心がブレてしまったことは、キャラクター描写の際触れたように私の中で到底受け入れがたいものでした。九頭龍の道具とまで言い切り、九頭龍のために生きている辺古山が狛枝の言うことを簡単に聞き九頭龍を守るという役目を成さないことがショックでした…最初は九頭龍に相談ののち戦刃の元へ向かったのかとも思いましたが、そうではなかったようなので…。

ここからは狛枝と七海が地下へ歩いていくところに焦点を当てたいのですが、まず明らかに怪しい地下施設へ歩いていく狛枝をクラスをまとめる役目の七海が止めないのは少し引っかかりました。ですがここで行かないと話が進まないので都合的には仕方ないのかと…その後、地下へたどり着いた狛枝と七海ですが、ここで御手洗とカムクラ、そして江ノ島に出会います。カムクラと狛枝の対峙はチャプター0との明らかな矛盾になったのですが後程セリフで回収されましたね。正直ここで二人が出会わなければならない決定的な理由がないので、あんなふうに雑に回収するのなら出会わせないほうがよかったのでは…才能に触れた狛枝が幸せそうな表情をしていましたがこれもまたあまり関係なさそうでしたので…。

ここで狛枝とカムクラ対決後、撃たれた狛枝を見た御手洗が逃げ出し、江ノ島が七海に「先輩の話を聞き一度会ってみたかった、見せたいものがある」と口にします。外に出た御手洗は「七海さんが殺される」(狛枝は殺されるどころかすでに撃たれているのになぜかスルーでした…不登校であった御手洗までなぜ徹底して狛枝を無視しようとするのか疑問です)と雪染に助けを求め、雪染が地下へと救出に向かいます。
ここから、七海と狛枝が逃げ出し、雪染と江ノ島の対峙、雪染の絶望堕ちが入るのですが、その方法が洗脳です。ビデオで堕ちなければ実力行使…江ノ島ではなく、戦刃が。正直チープだと思いました。散々バカにしていた戦刃ですら行える簡単な洗脳であそこまでいきがっている江ノ島盾子が小物に見えました。おまけにその洗脳ビデオも自身の功績ではなく御手洗のもの…他人のふんどしで相撲を取るとはまさにこのことでは…。

その後、気絶している狛枝を七海が教室まで連れて行き(すごい力ですね。身長差もとんでもないのに…)教室に集まっていた77期生(罪木、辺古山を除く)に助けを求めます。
「皆お願い力を貸して!先生がピンチなの!」→「雪染先生が!?」から、罪木辺古山も合流し加わったところで狛枝が「やめておいた方がいいよ、いくらみんなでも死ぬよ」と忠告します。その忠告を受けた77期生が「死ぬとか言われると…」と尻込みしたのちに、七海が「それでいいの!?先生がピンチなんだよ!?」と発破をかけ全員で救出へ向かいます。手負いの辺古山や自力で歩けない狛枝もなぜか一緒に連れて行きます。普通に考えたら保健委員の罪木に二人を任せ休ませるべきだと思うのですが…。

ここが個人的に非常に引っかかりました。終里、弐大が死ぬという言葉に尻込みしてしまったこと。明らかに戦闘要員ではない写真の才能を持つ小泉や、王女の才能を持つソニア、踊りの才能の西園寺やけいおん!の才能の澪田を連れて行ってしまったこと…そしてなにより、七海が相手が本当に殺す気があるということを一言も伝えていない点が。最低限伝えるべきではないでしょうか。相手が拳銃を所持していること、そして実際に発砲されたこと、狛枝の胸に壱発命中し、もし撃たれたのが狛枝でなければ確実に死んでいたこと…せっかくゲーマーの才能があるのですから、ゲームで培った作戦力でどう攻めるか等の作戦を立てていれば七海のゲーマーとしての才能も光らせることができますし、非常にもったいなかったなと。そして、本編中の狛枝の性格上「みんなでも死ぬよ」とは発言しないように思っていました。より希望が輝くのを自身の目で確認するために、1章でコロシアイの動機まで用意した彼ならむしろあの場へ周りを連れ込むよう誘導し「才能と才能をぶつからせて、もっと輝かしい希望を見せてよ」くらいは言うかと思いました…。そうすれば狛枝の異常性も印象付けられますし、その方が良かったのでは…?七海が先にあの場に向かい、狛枝から事情を聴いた77期生が七海のことを追いかけるという構図のほうがすんなりいきますし…。

また、77期生だけで動こうとするのも疑問です。助けを呼ぶという選択肢はないのでしょうか…あの世界は未来編とは違い警察も動いている世界なので、銃を所持している相手の元へやみくもに突っ込むよりは警察に頼った方がいいように思えます。というか、一般的な高校生でしたらまずそうすると思います。銅像の下の地下施設=希望ヶ峰学園の教師陣も仲間?という思考が働き雪染以外の教師へ助けを求めることをやめたのであっても、写真家や軽音部といったクラスメイトよりも、戦闘に特化した才能の生徒に手当たり次第声をかけるのも手としてはあったと思うのですが…
それに、あの暴動の中必死に罪木を探し回っていたにもかかわらず、実際にクラスに戻ってきたときには「罪木!」の一言で済ましてしまうのも引っかかりました。雪染の言いつけを破ってまで外に出て探すほど大切なクラスメイトだったんじゃないんですか?狛枝がクラスに戻ってきた時同様、本人がいなくなったら心配するけど戻ってきたそうでもないような態度を取る77期生に違和感を感じました。

教室から外へ飛び出し、予備学科の軍団に見つかった77期生を守るため弐大と田中がここで一時離れます。4章のコンビですね。

そして、銅像の地下施設へ行き雪染救出に向かう77期生ですが発案者の七海が一番後ろを歩いているのが少し引っかかりました。彼女は道案内の役目も務めていると思うのですが、先頭を歩かせないと意味がないのでは?その七海の隣の隣を歩いていた罪木が七海のことを突き飛ばします。突き飛ばされた七海は絶望堕ちした雪染と合流し、雪染に案内されるがまま怪しげな廊下を進んでいきます。付き当たりまで行くとエレベーターが現れそのエレベーターの中に雪染が七海を突き飛ばします。ここで絶望堕ちの表現としてぐるぐると渦を描く瞳が用いられているのですが、OPでは絶望堕ちの表現として赤い瞳が用いられているので本編内でもそのほうが良かったのではないでしょうか?どうしてもぐるぐるした瞳というと1章で豹変をした狛枝を思い出してしまうので…印象の混合を避けるためにもぐるぐる目はやめておいたほうがよかったような気がします。…個人の好みですね。

一方、廊下をただ突き進む77期生。無事田中と弐大も合流しますが…罪木がまわりを呼び止めるまで七海がいないことに気付かない…。あそこまで七海を慕っているように見えたのに…。ここでも77期生の絆は薄っぺらいという印象がつけられてしまって残念です。そして、「七海さんは足をくじいたので奥の部屋で休ませてます。」と言われるとあっさり納得。ここは狛枝が死ぬとまで言い切った相手がいるかもしれないくらい危険な場所、七海の部屋に自分も一緒にいると誰一人として声を上げません。七海も大事なクラスメイトなんじゃなかったのかという疑問が凄かったです。また、重傷だった辺古山や自力で歩けないほど弱っている狛枝のことは普通に連れまわすのに、七海は足をくじいただけで休ませてもらえるということになんだかもやもやしました…。「そっちで引き取ってもらえばよかったなぁ」ではなく、今からでもケガ人は休ませてあげるべきではないでしょうか…死ぬかもしれないとまで言われたのに、正直足手まといだとは思わなかったんでしょうか?ピクニックにでも行くような気軽さです。

そして、ここからが非常に受け入れがたかったです…。洗脳に関して記していきます。


絶望堕ち~洗脳について

まず、ゲーム内での江ノ島の発言をいくつか引用します。

「洗脳という表現は安っぽいのでやめて頂けますかね… なんか…脳を洗うとかグロいですし…」
「ほんっと、研究者の執念ってヤツは恐ろしいよねぇ~。 人の脳をそんな風にいじくっちゃうなんてさ。こんな誰にもできない非人道的な行為を平然とやってのけるなんて…そこにシビれて憧れちゃうゥゥゥゥゥッ!!」
「そんなヤツを突き落すだけなら簡単! その方法をざっと1万8072通りは知ってるわ!要は…アンタらが才能と希望を抱いた時点で、すでに絶望は始まっていたのよ…」
「私の教育が行き届いていたようですね。ですが、私から言わせれば…希望だの才能だの憧れにしがみつくヤツほど脆い!」

ゲーム内(今回メインで書かれている77期生に対して)は一貫して洗脳をしたととれるセリフは言っていません。「カムクラプロジェクトとは違う」とも言っていました(実際は脳に直接干渉している時点で同じようなものだと思うのですが)。また、77期生は通信簿をやってわかるように皆それぞれ壮絶な過去を背負っています。そこに付け入られたと察する情報はそろっていますし、江ノ島の言う「希望だの才能だの憧れにしがみつくヤツほど脆い!」を聞くと、そこを利用して彼女自身の話術とカリスマ性で簡単に絶望堕ちさせたのかと思っていました。実際はそうではありませんでしたね…大変悲しいです。77期生を執拗に雑魚と罵っていたのは簡単に絶望落ちしたためということは想像していたのですが、これは簡単なんて言うレベルではなく強制でしかないため、この状態の77期生を雑魚と呼ぶのはおかしいと思います。未来編では苗木も簡単に洗脳にかかり、この77期生を雑魚と言い切るのならメイン扱いしていたはずの苗木のことも雑魚ということになるのですが…彼女は何を思って77期生を雑魚と表現したのでしょうか。
また、スーダンラストで十神の言っていた「絶望になったお前らにも責任はあるんだ!」とのセリフも、77期生が自分で絶望を選び取ったように想像させます。洗脳で絶望堕ちでは、彼らの責任を問うことはお門違いであり江ノ島のみに罪があると思います。スーダンのラスト、一度は絶望を選び取ってしまったけれど今度は絶望も希望も選ばず自分の未来を創っていく…というように受け取っていたのですが、そもそもこのラストも薄くなってしまいます。間違ったことなどなかったわけですから…

また、七海のおしおき~死亡で77期生は絶望落ちをしたわけですが、言い方は悪いですが七海はほんの1年とすこし生活を共にしただけのクラスメイトです。そこまで77期生が七海に入れ込むのは正直考えにくいのではないかと…そして、小泉は親友であるサトウと亡くしていますし、九頭龍は妹、辺古山も九頭龍同様妹のような菜摘を亡くしています。狛枝も幼少期に目の前で両親が一度に死に、そのあとも想像を絶するほどの不運に見舞われてきたはずなのですが…田中も飼育委員という才能のため、動物の命に触れる機会も多く合ったと思うのですが、これでは七海>>>>親友、妹、両親、そのキャラにとって大切な命という図式が成り立ってしまいます。果たしてそんなことはあり得るのでしょうか。77期生は通信簿を見るとみんなそれぞれ大切にしている対象が見えてくるため全員が一様に七海のことを一番と思ってしまっているのは疑問です。七海は大切なクラスメイト!ならわかるのですが、七海が一番好き!となってくるとどうして?と思ってしまいます。
また、この七海のおしおきシーンですが、異様に長いというか…江ノ島は飽きっぽいという設定はどこに行ったのでしょうか?彼女は絶望的に飽きっぽいわけですから、おしおきが始まって少し経ったら「あーもう飽きちゃった、いいや」とすぐにとどめを刺すイメージでした。江ノ島はリョナ・グロが好きな猟奇的な人間ではなく、絶望を愛している飽きっぽい人間であったため、七海が苦しむ姿を飽きることなくずっと見ていたいと考えるとは思えなかったのです。
また、七海がここまで周りを巻き込んできたことを、従来の江ノ島なら「七海センパイがクラスメイトをみ~んなここに連れてきてくれたおかげで、センパイ達全員アタシの絶望(コマ)になるのよ!ありがとうございますっ☆」くらい言うと思っていたのですが、延々と七海のことを褒め称えていたのが疑問でした…。それと、あそこまでクラスメイトを大事!と言い切っていた七海が一度もクラスメイトの安否を心配せずあまつさえ「みんながきっと助けてくれる!」と周りの力をあてにしているのが引っ掛かりました。死にたくないよぉ…との発言も、周りが死ぬかもと尻込みした時にはそれでいいの!?と叱咤したくせにあまりに身勝手ではないかと…後悔する様子が少しでも入っていればまた変わってきたとは思うのですが。

そして、七海のおしおきですがあれは中継ですよね。そもそもZVの説明としては「視覚・聴覚に訴えかける色彩や音響を使用し相手の感情をダイレクトに揺さぶる」というカラクリでしたから、あの中継をみて動けなくなり目がぐるぐるするのはおかしいです。ZVではなくおしおきであそこまで絶望してしまうのでは、まずスーダン1章の花村のトンカツの時点で全員が絶望になっていないとおかしいと思います。御手洗をみすみす逃がしたのは江ノ島自身がその技術を手に入れたからだとは思いますが、そもそも洗脳するだけの編集の時間さえないのにどういうことなのでしょうか。不思議です。

七海のおしおきのステージも疑問です。スーダンはそもそも電脳世界なので準備は必要ないとして、無印は絶望の残党におしおきの器具を作ってもらったのではと推測できます。時間もたっぷりありますし。ですが、七海のおしおきに使用した、七海のために作成されたとしか思えないダンジョンは何なんでしょうか…もとからあったにしては不自然ですし、そうなってくると江ノ島とカムクラが作成したものだと思うのですが、そんな時間はありません。江ノ島の当初の予定では七海をおしおきする気はなく、ZVを見せるだけのことだったと思うのです。江ノ島と七海の初対峙の際、先輩に見せたいものがあるとの発言、雪染乱入後雪染の「ずいぶんあっさり見逃してくれるのね?」「もっと面白いことを思いついたから」の発言より、江ノ島が七海をおしおきさせようと目論んだのは雪染が乱入してきてからのことでしょうし、雪染乱入後は御手洗の元へ追い打ちをかけに行く、逆蔵の弱みをネタにゆする(これ、ものすごい小物臭がしました…)との行動をとっていたので施設を作成しあのような拷問器具を取り付けモニターまでつなぐのは時間的に無理だと思います。カムクラにやらせたにしても、あそこまで大がかりなものは才能なんてものではなく、もはや魔法でも使わない限りありえないのでは…。

無事77期生を絶望堕ちさせてから江ノ島は「私と一緒に愛する人が死ぬ絶望を」との発言をしていますが、もうすでに江ノ島が松田を殺したとしか取れない発言なのですが…ゼロの時系列がよくわからなくなります…。

江ノ島に大切な七海を殺されたのに江ノ島の支配下につくのも納得がいきません。普通大切な人を殺されたらその相手を憎むべきでは…ZVではないにせよ洗脳されていたとのことでしょうが、江ノ島のカリスマ性に触れ絶望を選びとったわけではないのなら、江ノ島に付き従う意味すら皆無です。あれでは「このままでは自分の身も危険になる」という防衛本能から江ノ島のご機嫌取りのためにつき従うようにしか見えません…。

その後、Cパートでカムクラと七海が少し会話したのちに七海が息絶えカムクラが涙します。これが非常に受け入れがたかったです。カムクラはそもそも感情を持ってしまってはキャラクターとして薄くなってしまうと思いますし、日向の感情があふれ出してカムクラを介して表に出たのなら日向はそもそも完全に消えてはおらず、それどころか奥深いところに眠っているわけでもなく割と浅いところで普通に人格が残っているとしか思えないのです。てっきり、日向創の存在はすでに消失してしまい、だからこそカムクラプロジェクトの悲劇性がさらに強く印象づけられていたのだと思っていたのですが…。完全に消失してしまっているとなるとプログラム内で日向がでてくること自体疑問になってしまうので一欠片くらいは残っているとは思っていたのですが、感情がカムクラからあふれだすということは一欠片どころてはなさそうです。そうなってくると、日向があそこまで苦悩して、必死に悩んでいたものがすべて茶番になり、6章をやってももう「カムクラになっても別に日向普通に出てこれると思うからあんまり悩まなくて平気だよ」としか感想を抱けなくなってしまいました…あの、自分が完全に消えてしまうのではないかという絶望感が一切感じ取れなくなってしまいました。
また、日向創は正義感の強いキャラクターです。スーダン時も裁判後日向は何も悪くないのに責任を感じているシーンがありますし、絶望編でも少しかかわっただけのサトウ・菜摘のために本科校舎まで行っています。もとより人の世話を焼くタイプであり(主人公だからということもあるでしょうが)情に厚かったはずが、カムクラになった後優しい言葉をかけてくれた雪染が拷問に合い、同じ教室で授業を受けていた(かもしれない)予備学科生が首を少しずつ切り、憧れていたはずの本科生、そしてそのトップに君臨する生徒会メンバーが何も悪くないにもかかわらず殺し合いを強要されていた時は何の感情も見せなかったのに対し、七海が息絶えたときにのみ涙を流すのはカムクラはもちろん日向の性格的にも違和感が…。

「才能の獲得にジャマな感覚や感情や思考や思想や趣味はすべて取り除かれ…それまでの過去の記憶の一切も、記憶の奥底に眠らされてしまっている…」

江ノ島、ゲームではこう言い切っていたんですけどね…。すべて取り除かれてないですね…。

卒業

絶望になったまま卒業を迎える77期生、死んだ七海の席には花が。江ノ島とカムクラの会話からカムクラが77期生と会っていたことが発覚しますが、その描写も一切なかったため混乱しました…。77期生の教室に不自然に1つだけ空いていた席がありましたが、あそこにカムクラが座り教室でしばらく共に過ごしたのでしょうか?そういった描写は必要だと思うのですが、特に触れられなかったのが残念です。
江ノ島、「また会おうね~!私はいつでも、利用してあげるからさ…」と言っていましたがカムクラは基本傍観するのみだった印象しかないのですが(一度だけ、江ノ島のことを狛枝から助けましたね)、活躍したこともあったのでしょうか?そのシーンが見て見たかったです…。カムクラは完全に絶望側の人間として今までの作品上では扱われてきていたため、アニメを見ただけですと特に絶望側ということも思えずに終わってしまいました。
また、希望と絶望どちらがより予想がつかないのかと言っていましたが、絶望編が終わった後に始まる無印のコロシアイで生身の江ノ島のことを希望である苗木が打ち破っていましたが、それでは納得しなかったのでしょうか?この時点で結論は出ていると思うのですが。江ノ島アルターエゴを修学旅行に持ち込む意味がわかりません。

78期生が映ったのはうれしかったです。タメ口の舞園からは78期生に対する確かな信頼を感じました(しかし、舞園がアイドルグループのことを心配する描写が一切なかったのが少しさみしかったです。人を殺してまで安否を確かめたい仲間なのに話にすら上がらなかったので…)。
しかし、コロシアイ学園生活はなんだったのでしょうか。シェルター化とは言っても本当に身の安全を確保するのなら宗方達と合流させたほうが安全だと思いますし、仁は黄桜に「娘を頼む」とまで言っているほど高く評価をしていたのに黄桜そっちのけで娘のみを閉じ込め、シェルターにする意味がいまいち腑に落ちません。また、生徒たちが自らボルトを締めていましたが、無印では開けられない・出られないと言っていたのも…これなら大神なら余裕であけられるのでは?と思ってしまいました。この後きちんとした機械できつく締めるのでしょうか…。
ここで入学時の制服を着ているのは江ノ島が何か言ったんですかね。


いまいち腑に落ちないのは予備学科の集団自殺でした。以下、江ノ島のセリフより引用。

「たとえばね…飽きっぽいアタシが今でも思い出すとっても美しい光景を教えてあげよっか…アタシを狂気的に愛してる何千ものゴミクズ集団が、殺虫剤を浴びた虫ケラみたいに死んでいく姿…しかも、連中はそれを自分でやったんだよぉ!?」

自分でやっていたといえば自分でやっていましたが…。江ノ島を狂気的に愛しているわけではなく、洗脳の力です。突き詰めていえば御手洗の力であり、自ら命を絶つというよりも強制的な面が強く、そうなるとこの発言は不適当かと。


Cパートでスーダンが観れたのはうれしかった…と言いたいんですが、七海と日向の出会い方がまず違いますし(スーダンでは握手をしていなかったと思います…アニメでは運命の出会いです!みたいな描写されてましたが)、その場にいた狛枝はいつの間にか存在が抹消されているし、たしかロビーにいたはずの辺古山は消え去っているし、作るならもうちょっとスーダンをきちんと見てから作ってほしかったです…ゲームと全然違う…運命の出会いではなくさらっとした普通の自己紹介だったけど信頼を重ねていって仲間になるってのが良いんじゃないですかね…




何度も見る体力が削がれ1度、多くて3度ほどしか見ていないのですが、個人的に不満を持った点はこのあたりです。強く印象に残ったのも。
江ノ島は苗木がノーマークだったのにもかかわらず、コロシアイ学園生活で今までにない輝きを発揮した為あそこまでうろたえたのだと思っていたのですが、もともと苗木のことは注意していたんですね。意外でした。

物語についてはこのあたりで締めくくりたいと思います。洗脳・カムクラの涙・そして引き金が七海ということが個人的にものすごく、ものすごく嫌でした…

また、「どうして彼らは絶望してしまったんだろうね?」が明らかなテーマとなっており、「77期生の絶望堕ち」を主軸に持ってくるような広告の仕方をしたものの、肝心の場面はBパートでの描写のみ。多く見積もって15分程度しかスポットライトを浴びていません。本題ではない76期生の過去話ですら1話の時間を割いているので、これでは広告詐欺のようなものです。その15分の間も七海が大半を占め、77期生の写ったシーンが極端に少なく、また動きもしていないため見応えがありません。
大々的に77期生の絶望堕ちを広告に使い、七海自身は直前まで出ることすら明かされていなかったわけですから、これでは想像していたものとはあまりに別物です。小高氏もTwitterで幾度も「ファンが見たいものを描いた」と発言していましたから、勝手な感想で申し訳ないのですが…裏切られたとさえ感じました…。

続いて、希望編の感想をいたします。




希望編について

一番してほしくないところをされたな、と。奇跡ってずいぶんと安っぽいですね。あんなふうに簡単に起き上がるのなら最後の苦悩は一切必要がなかったですね。誰が死んでもよかったですね。だって、生き返るから。

今回の物語はスーダン終了後からたいして時間もたっていない段階のものであり、必死で待ち続けてようやく起き上がったというよりも普通に起き上がったのでは…という気持ちがあります。V3特典アニメでそのあたりの説明が入るみたいですが、そもそも完結編とまでいっているにも関わらず次回作にも平然と引っ張り出す神経を疑います。終わったんじゃなかったんですか。世界観も一新すると言っていたのも嘘のように感じられ、公式サイドからするとファンサービスの一環のつもりなのかもしれませんが客寄せパンダのようにしか感じません。アニメを丁寧に作ってくれた方がファンはついていったと思うのですがそのあたりどうお考えなのでしょうか…。
起き上がらせるにせよ、きちんと時間をかけて、奇跡的に、そしてゲーム内で死亡したからには何かしらの障害が残った方があの日々が無駄にならなかったんだと思えるのですが、そんなこともなく残念です。あっさり起き上がってしまったことにより、今からゲームをやり返しても死んだキャラに悲しむことなどできず「まあこの後普通に生きてるし…」としか思えません。残念です。
また、死ぬことで信念を貫き通したキャラもいると思うのですが、安易に生き返らせてしまうとそのキャラの決意そのものを冒涜してしまうことになりかねないと思うのですが。ゲーム内で非常に魅力的に描写されていたため勿体ないと感じます。死ぬということはイコールそのキャラの生き様を描き切ったということだと思っていたので…。
今後ゲームをやっても「ペコは九頭龍のために散ったけど」「西園寺は小泉のために祭壇まで作ったけど」「弐大は機械になって挙句死んだけど」「自分を失うんじゃないかとここまで苦悩して強制シャットダウンに踏み切れずにいるけど」⇒「五体満足で普通に生き返るから悩む必要も悲しむ必要もないよ、大丈夫」と非常にあっさりしたものになってしまうと思います…キャラが死ぬということを絶望とは取れずこの後どうせ生き返るし、となってしまうのは悲しいです。もったいない。
また、本編中で西園寺と罪木が仲良くしていたり、詐欺師が自分のことを殺した奴が自分のことを殺した凶器と同じ形状のもので焼いた肉を平然と食べていたり、狛枝と日向が仲良くしていたり、本編内で描写されていた確執も一切見受けられず加害者も被害者もなにもなかったようにしており、あの日々は本当に意味があったのか?なくても構わなかったんじゃないか?というものになってしまっていることも残念です。特に、狛枝が普通にクラスになじんでいるのが…いろいろあったのに、その記憶もすっぽり抜けてしまっているのか?という疑問があります。日向と花村、お前らなに狛枝と仲良くしてるんだよ…

77期生が各々の才能を光らせ行動しているところは単純にうれしかったです。ですが、これはそもそも絶望編でやるべきことでは…希望編で、最終決戦に77期生を出張らせてしまうと本格的に苗木のすることがなくなってしまいます。事実、苗木はただそこにいるだけになっていました。主人公なのに…完結編なのに…。

また、才能を光らせるとは言っても澪田・罪木の描写は非常に受け入れがたかったです。澪田はスーダン内でも、絶望落ちした後でさえも、音楽を武器として使用していたわけではなく周りに士気を与える・元気づけるという目的で歌っていました。本編内には「じゃあ、今日はみんなを元気付ける為に精一杯歌うから最後まで盛り上がってってねー!」といったセリフまであります。
ですが、最終的な到達点である希望編ではその音楽を人を傷つけるために使用しているのが…澪田が今まで人のために良かれと思って唄っていたという事実が覆ってしまったようで嫌でした。絶望になっても曲がっていなかったスタンスがねじ曲がってしまったように見えて…。

また、罪木に関しても彼女は大きい注射器を武器としていましたが、そもそも彼女の嫌いなものは大きすぎるものであり、嫌いだと言い切っているものを使用してピンピンしているのはどうして…?何故その武器をチョイス…?と疑問に思いました。普通サイズの注射器じゃインパクトが足りないからでしょうが、それにしてもわざわざ大きいものを持たせなくても…といった感想です。西園寺のことを救出にいっていたのが罪木ですが、そもそも西園寺はなぜ単独行動をさせられていたのでしょう?もともと戦闘向きの才能ならいざ知らず、彼女は明らかに戦闘には不向きです。ここでも、77期生が散々絆だ仲がいいだ言っていた言葉が薄くなってしまっているのを感じ不可解でした。

雪染に関しても、声をかけたのが日向のみであるのが疑問でした。そもそも日向は雪染の受け持つクラスの一員ではなく何度か会話をしただけ…なおかつ、雪染は心の中では予備学科をバカにするような発言をしていたため、日向が雪染に話しかけるのは別に…そんな風に言われても雪染自身も喜ばないのでは?と疑問でした。せめて雪染に最後のお別れを言うのは彼女が受け持ったクラスの一員がするべきでは…77期生が雪染のことをスルーしていたのも疑問です。死ぬかもしれないという場所に赴くほどに彼女の身を案じていたのではないのでしょうか…雪染の存在を一切忘れてしまっているような77期生に疑問しかありません。

また、日向が「才能なんてなくても構わないという七海の言う通りだった」と言っていますが、才能をバリバリ使っている時点でその発言は違和感しかありません(これに関しては七海も同様ですが)。才能を持たない人間の言う「才能なんてなくてもかまわない」と才能を持つ人間の言う「才能なんてなくてもかまわない」は意味としてはまったく違う捉え方をされてしまうと思いますし、おまけにその才能を利用しまくっているにもかかわらずなくても別にいいや、というのは筋が通りません。彼自身、その才能のせいで人を傷つけてしまっていたということを一つも後悔の念を見せなかったことも疑問です。カムクラと自分を明らかに切り離して考えているのでしょうか…でもその後の罪滅ぼしにつながりませんし、せめて目の前で雪染が拷問されていたのに助けることもできなかったことを雪染の死体に一言でも謝罪をしていればよかったのですが、その様子もありませんでした。人が死ぬということを軽くとらえすぎではないでしょうか…スーダンの時点では才能がなくとも人一倍正義感が強いキャラクターだったと思うのですが…。
スーダンのラストで、才能を持たないままの自分で、「日向創」として生きていくという結論を出していたと個人的には受け取っていたので、結局才能あるんかーいとずっこけそうになりました。ありましたね、才能…。

スーダン自体「絶望でも希望でもない未来を創る」というエンドだったので、そこから先の未来は誰も知らなくてよかったのではないかと思っています。わからないからこそ各々の受け取り方ができますし、わからないからこそ「未来を創る」という言葉がより深いものになったと思っていたんですけど…このような形で結論を出されてしまい誠に残念です。

スーダンの生き残りメンバーが苗木のことをスルーしていたのも不思議です。自らの身を危険にさらしてまで助けてくれたのに、お礼の一つも言わないのは人としてどうかと…。罪をかぶる!ではなくまず謝罪と感謝の言葉を述べるべきでは。日向は「やってやったぜ!」という表情で会釈していましたが、薄情者という印象が強かったです。苗木、命かけてたんですけど…絶望(77期生)のせいでコロシアイまでさせられてたんですけど…77期生を助けようとした結果苗木は未来機関でも危うい立場だったんですけど…。
また、罪をかぶるのは良いですが、自分たちのせいで荒れ果てた世界・自分たちのせいでコロシアイを強いられていた人々、そしてその死体を見てから和気藹々とシュラスコパーティーしていたのも気になりました。反省が感じられません。花村、お母さん死んでいるかもしれない世界でのんびり肉なんて食べてていいの?ソニア、国民の身は案じないの?終里、弟と妹のことはどうでもいいの?いいんでしょうね、普通に考えればよくないと思いますが何の後ろ暗さも感じずみんなで笑っているので。

正直な話、77期生が未来機関のコロシアイを自分たちのせいにするのも疑問がありました。ダンガンロンパの世界では誰かが死んだら殺した相手をクロと見なし「オシオキ」をします。そんな理由があってもです。人のために殺しをした辺古山も、自分でやった覚えがないけれど確かに殺めてしまったAIの七海も、オシオキを受けたのはそのためです。人殺しはその本人が罪を償わなければいけないのです。当たり前のことですが。
ですが、苗木たちは77期生に罪をかぶってもらってそれを良しとしました。これが理解できませんでした。100歩譲ってすべて黒幕のせいならば罪なんてない!と言い張るもするでしょうが、76期生は私情で殺し合い、宗方と逆蔵に至っては一方的に殺しまわっていたのみ。これは、黒幕のせいというよりもそもそも未来機関が腐りきっておりきちんとした信頼関係も構築できていなかったのが原因のようなものでしょうし、苗木たちは一度未来機関を壊してから1から希望にあふれた未来を作り直して言ったほうが良いと思うのですが…。77期生にすべての罪をかぶせて、活躍すら大してしていない苗木は本当に主人公と呼べるのでしょうか…。最終的に希望ヶ峰学園の学園長となり学園は存続していくようでしたが、そもそも希望ヶ峰学園自体表面上はともかく中心部はドロドロしていたのでそれを受け継ぐのは…まだ才能に縛られる世界を作るの?としか思えませんでした。

また、AI七海誕生の秘密ですが、以下七海のセリフを引用します。

「ねえ日向くん。知ってた?
あの日、みんなが新世界プログラムに入ってきたとき、みんなを管理するAIが作られたんだ。それが私。
まず、みんなの記憶から、管理者にふさわしいイメージを読み出して、それを統合して一つの人格を作るはずだったんだけど。でもね、その必要はなかったんだ。
みんなが抱イメージは一致していたから。
みんなには、心の底からもう一度会いたいって思う人がいたから。
正確には別人だけど、みんなのおかげで私はもう一度みんなに会えたんだよ。
だとしたら、これはみんなで勝ち取った奇跡だね。」

"心の底からもう一度会いたいのは七海千秋"というのは非常に引っかかります。
七海は大切なクラスメイト、それは分かります。ですが、学生生活で妹を失った九頭龍も、それに等しい悲しみを抱えていたはずの辺古山も、親友を失った小泉も、1章で人を殺してまで母の元へ帰りたいと強く願っていた花村も、父のことが大好きだと通信簿で明かされた西園寺も、国民を想う超高校級の王女であるソニアも、弟や妹を何より大事にしていた終里も、みんなみんな七海が一番で七海ともう一度会いたいと願うのは…ありえないんじゃないかと…。大切なクラスメイトが目の前で殺されてしまってショックでしたということならわかるのですが、一番大好きな七海ともう一度会いたい!となると首をかしげます。
たとえば、無印のメンバーで圧倒的に信頼を得ていると思われる苗木がこの立場だったとして、みんなが一心に苗木を想うことなんてまずあり得ないと思いますし、七海だって同様です。また、七海のイメージが出来上がりそれを未来機関がよしとしてしまうのも、七海と出合わせたらもう一度絶望になってしまうかもと思い変更したりはしなかったんでしょうか…また、七海がスーダンで言っていた「お父さんとお兄ちゃん」とは誰のことなのでしょうか…実在した七海の父親と兄弟とのことでしたら、モノミのことも含め「私たちのお父さんとかお兄ちゃん」という発言は不適切ですし謎が残ります。
それと、こういっては口が悪く非常に申し訳ないのですが、「皆、私にもう一度会いたかったんだよね。もう一度会えてよかったね。私に会えたのはみんなが奇跡を起こしたからだよ!」と自分で自分のことを持ち上げてしまうのは自惚れが過ぎますし、AI(の見た目をした)七海が絶望編の七海をものすごく持ち上げて、なおかつ言っている方のAIの七海もAIの七海の見た目ではあるけれど中身は絶望編の七海のようで…AIの七海千秋の存在なんてまるでなかったようで、公式サイドもあまり性格を覚えていないようで、かなしかったです。
オシオキ後の七海が「やればなんとかなるってやつだよ」と言っていましたが、これは6章でAIの七海も同様のセリフを口にしていましたね。別人だという割に、割り切れないくらいに公式側が両方の七海をリンクづけてきていて、何が起こっているのか理解ができませんでした…。

ついでに、時間の経過があってもみんな見た目変わらないんですね。高校生なんて成長期だと思うんだけどな…。苗木や霧切が普通に成長しているので77期生の学生時代のまんまな見た目がアンバランスな感じになっていましたね。まあ、無印の時からの伝統芸なのでその辺は触れないでおきます。




以上で本編に関する感想は終了です。
下記からは江ノ島盾子・七海千秋のキャラクターについて記していきます。
ここまでも十分に自己満足の記事でしたが、この二人に関しては思うところが多いためさらに感情任せの文章になってしまうかもしれません。
すみません。




江ノ島盾子・七海千秋について

江ノ島盾子について

言わずと知れた無印の黒幕、そしてスーダンでもAIとなって姿を現していました(スーダンでの本当の黒幕はカムクラではあったのですが)。出てくるたびにカリスマ性を発揮し、本人の自信も相まって厄介な敵という印象が強かったです。死なせても喜ぶし。オシオキも楽しそうだったし。最終的には飽きて真顔になってたけど、それでも本当の意味での償いはさせられなかった…
キャラクターとしては非常に魅力的でした。出てくるたびにわくわくして、悪役なんですけど好きなキャラで…それは、カリスマ性があった頃の話なんですけど。
今回のアニメで彼女は魅力を削がれてしまったように思います。
5話で登場した時点ではただ者じゃない雰囲気、タクシーを気軽に爆破させてしまうエキセントリックさ、実の姉を本気で殺しにかかってしまうほどの絶望感…とにかく、すごくワクワクしたのを覚えています。カムクラに会いに行くまでの人を人とも思っていない拷問の数々や、御手洗と出会った時の面白いおもちゃを見つけたような無邪気さも、魅力を感じていました。
ですが、本編の感想時にも書いたのですが彼女の言っていたことがほぼほぼ虚言となってしまったのが悲しいです…。結局人の手を借りることでしか行動できない小物としか思えなくなってしまいました。
まず彼女は、あそこまで自分一人で行動していないと思っていたのです。いや、行動はしていると思っていたのですが、なんというか…OPで77期生に息を吹きかけたらそのまま飛んで行ってしまったように、吹き飛ぶほどの軽い扱いで、あくまで彼女自身の心の隙間に入り込むような行為で、強制的にではなく精神をむしばんで絶望を"選ばせた"のだとばかり思っていました。無印で彼女は下記のセリフを口にしています。

「私が殺した訳じゃありません。私はあなた方の背中を軽く押しただけです。その程度で殺し合うって事は…あなた達は…どちらにしても争う生き物なんです…」

殺し合いのみならず、絶望へ落とすのもこれだとばかり…1万8072通りとも言うほど多くの理由を自身の掌の上で転がし、自分自身で罪を背負わせ自己責任で絶望へと導いていたのだとばかり…
脆いと言い切ってしまったように、希望だの才能だの憧れにしがみつく人間を自身の軽い一言、軽い行動で絶望に落としてしまうカリスマ性があったのだとばかり…

すべては虚言で、信じ切ったオマエがバカだろ!さいっこうに絶望的だな!!
こういわれてしまったら返す言葉もないのですが、非常に残念でした。


七海千秋について

※絶望編七海のことをあまりよく思っていないせいで批判が多いです。


今回のアニメ化は、77期生はどうして絶望してしまったのか…そのことをメインテーマにしていたと思うのですが、アニメのほとんどは彼女の行動なり発言なりをピックアップしたものでした。アニメ決定時・そして直前まで彼女が出ることは公式からアナウンスがなかったので、出演決定時にもそこまでメインで出るわけではなくAIとして出来上がる過程が見れるものだと思っていたのですが…蓋を開けてみると、77期生の出番はほぼなく、完全に七海千秋のための物語になっていました。
もともと、AIの時点での七海は好きなキャラでもあったのですが、あまりにも今まで自分が記憶していた彼女とは大いに異なりました。

AIの七海のそもそもの魅力は"存在しないこと"かなと個人的には思っています。特にアイランドのシナリオが顕著なのですが、エンディングでAIだったはずの彼女が確かに自分の意志での言葉を発していたこと、裏切ってしまうことを知りながらも、それでも自分のエゴで日向に修学旅行から出たらの話をしてしまうこと、その未来が自分にないのを分かっていながらも甘えてしまうところ…実在する人間には無理な、彼女にしかできないシナリオだと思いましたし、だからこそ現実で生きてた七海千秋というのはそもそも「えっなんで!?」感がすごかったです。AIだからこその儚さが人気のキャラだったと思っていたので…公式がぶちこわすとは…

絶望編はほぼ彼女の出番でしたが、それにしてもとても薄かったように思います。
物事は、何かしらの行動があり、過程があり、そして結果へとつながります。棚から牡丹餅なんて言葉もありますが、現実ではなく物語の中ではラッキーよりも過程を描くことで話に深みが出ますし最終的な結果にも説得力が出ます。ですが、今回の七海の描写には明らかにその過程が省かれていました。

まず、ゲームでの彼女の性格は「いつもぼんやりしてマイペースなゲーマー。気を抜くとすぐに眠ってしまうけれど裁判等決めるときには決める」というものだったと思うのですが絶望編の七海は見た目と声だけが同じで他は一切が食い違っていました…。ゲームの七海ならそもそも教室外でふらふらゲームするよりも教室にとりあえず行って自分の席でゲームを楽しむんじゃないかなと思っていましたし(スーダン内でもホテルのロビーにいることが多かったように、ふらふら出歩くイメージはあまりなかったです)、教室が騒がしくても集中力を発揮してゲームに没頭し周りがどれだけうるさくても関心を持たないイメージだったのですが今回のアニメでの七海はそのまま呆れたように教室を出て行きました。
話の流れ上仕方がないことだとは思うのですが、七海…これ七海…?という疑問が強かったです。

また、アニメ七海も正直委員長の器ではないなと思うシーンが多く、歩きゲームをして前方不注意でぶつかった相手に謝りもしないし、日向の才能コンプに対して才能を持っている身でありながら「才能なんてなくてもいい」と言うし(あそこで日向が感銘を受けていたのが疑問でした。)、2話のゲーム大会で花村の料理をdisった挙句に花村のことを殴り飛ばすし、左右田がゲームを直すと申し出てくれても期待せずに待つというし…正直、嫌な子だなぁという印象が強かったです。

「才能なんてなくてもいい」という言葉は才能を持っている人間が才能を持っていない人間に言っても嫌味にしかならないと思います。特に、才能に縛られている人間が言うのならばともかくとして七海は才能に縛られているわけでもなく何不自由していないわけなんですから、不適切かなと。自分がもし貧乏だとして、金持ちの相手に「私はたくさんお金を持っているから一級品のものしか使えないけど、お金を持っていない君ならなんでも好きなものを使えるんでしょ?」なんて言われたらブチ切れますよね。それと同じことを言っているようにしか思えませんでした。個人的な感想ですが。
また、花村・左右田共に希望ヶ峰学園の生徒です。苗木のようにラッキーで入学したわけではなく、間違いなく本人の才能で入学しました。花村は料理人のプライドがありますし、左右田も自分の才能を生かした夢を持っています。その才能を赤の他人が無神経にバカにしてしまうのは失礼だと思います…。花村の肉じゃがの件は、その直後にソニアがおいしそうに料理を頬張っている為、よくない対比が出来上がってしまっていたようにも思えます。

また、雪染が執拗に七海のことを持ち上げているのが引っかかりました。七海がゲームを持ってきて、左右田がモニターを組み立てて、花村が料理を作って、それでも褒めるのは七海のみ。えっなんで!?という印象が強かったです。

七海の行動はこの後にも、
・トワイライト時間後号泣している小泉のことを西園寺が慰めつつ、77期生は遠くから心配そうに見守る→けれど七海は笑顔で日向の元へ新作ゲームを誘いに行く
・しかしクラスメイトより優先しているはずの日向が顔に傷を作っていても気づかずにゲームに誘うという無関心
・小泉が出入りしているくらいだから予備学科には自由に行けるはずなのに日向のことをおよそ1年間もの間校門前で待ち続ける(会いに行った方が早いのでは?と思います。)
等正直受け入れがたいものが多く、雪染救出~オシオキ時にもクラスメイトのことを心配する描写がなかったりと本当にクラスメイトのことが大切なのか?と聞きたくなるようなものばかりでした。
EDでは七海のしていたことがえがかれていたのですが、その内容を本編ではすっ飛ばして77期生に言葉だけで「七海さんはすごい!」「七海さんのおかげ!」と言わせているのみだったので違和感がすごかったです。信頼を勝ち得る描写というものは省いてしまうとそれこそ洗脳のようにしか見えず、視聴者は置いてけぼりになってしまうので描写すべきだったのではないでしょうか…
また、信頼される委員長としての行動も甘く、日向のことを優先させているように見えて日向のことをそこまで見ていないのではないか?という疑問が要所要所で挟まれてしまいもったいなかったです。

七海のことを委員長に据えるのなら、イベントごとなどを九頭龍に反発されるけれど七海の努力で認めさせる・もともと引っ込み思案だったのに勇気を出して周りの人間に積極的に声をかける等の描写を入れたほうが説得力も増したと思いますし、77期生ひとりひとりの個性も見せられてよかったのではないかと…イベントの提案をさせるというよりも、学校内で一つ大きなレクリエーション(七海が活躍できそうなゲーム大会等)を開催させ、七海の才能を光らせて77期生が一目置く→からの徐々にクラスになじんでいく…のほうが七海自身のキャラも立ちますし、ピクニックやキャンプ等は七海が言い出したといわれるよりもソニアのほうが言いそうなのになぁとすら思えてしまいます。

七海に一番の時間を割いた割に七海自身が何をしてきたかということが一切見えてこないので、七海がどうして77期生にそこまで大事にされるのかというころがいまいち納得できなかったです。
ゲーム内同様、七海はリーダーポジションというよりもいつもマイペースだけど決めるときには決めるというポジションにした方がよかったのでは…


七海を推したいにもかかわらず肝心の七海の描写すらおざなりで、七海が苦労した・努力したというシーンが皆無のため正直ついていけませんでした。
このあたりをきちんと描写し、77期生も個性を光らせてくれていればここまでの不満はたまらなかったと思います。…一括洗脳や、七海が一番と言う77期生は理解ができませんが…。







ダンガンロンパ3の感想は以上になります。
決して悪いところばかりだったわけではなく、たとえば逆蔵の命を懸けた配電盤までの行動はよかったと思いますし(ボクサーということに誇りを持っている彼が自身の手を切り落としてしまうのは、それ相応の覚悟が見えてよかったです)、安藤の自分に自信がないがゆえわがままになり起こしてしまった悲劇、手袋を外すほど霧切の苗木への信頼が強かったこと、十神・葉隠の成長、なにより動いているキャラクター達…
よかったところももちろんあるんです。ですが、それもひっくるめて全体的な感想とすると、個人的には到底受け入れることのできない出来でした…最終的な着地点が希望編ならもうゲームをやり返すことすらできないと思ってしまうのです。


ファミ通のコラムを拝見しても、もうこれが正史だと確定しているようですし、どうしても切り離して考えることができない。


もちろんこの価値観を他人に押し付けようとは思いませんし、この記事自体自己満足のものになりますのでストレス発散してるんだなー位に軽くとらえていただければ幸いです。

長々とお付き合いくださりありがとうございました。